こんにちは。もりたです
突然ですが、今日のテーマは
【せっかく〇〇したのに】
僕が最も敏感に反応する言葉の一つで、これを多用する人がいると残念な気持ちになります。
これを耳にした人は、いい気分になる事はないでしょう。
例え、言われた対象が自分でなくとも、です。
「せっかく○○したのに」
この構文は、基本的に全て「グチ」です。
このセットを聞いた人は、
「…だからなんなのだ??」という気分になるのです。
せっかく○○したのに
↓
(のに、△△してくれないなんて。クソが!)
おそらく、こういう続きがあるのでしょうが、
私がせっかく○○したのに、
XX(対象物)は△△(望む結果になる事を)してくれなかった。
だから嫌な気持ちになったよ私は!あ〜ぁ
という事を言いたいわけですよね。
良かれと思って言ってるのかもしれないが、
それを耳にした側は最悪な気分にになります。
けど、多分あれですよね。言った人も、本当は言いたくないけど、嫌な気分になっちゃったから
言いたくもなっちゃうよね。
わかるよ。
けど、自分の感情を優先するあまり、実は言われた方の人も
じゃあどうすりゃいいのよ、ってなっちゃう
それに気付かないんです
いや、言ってることが正論であったとしてもですよ。
○○して「あげた」ら、あなたの為になると思って!
なのに、思った通りになってくれない!悔しい!
○○して「あげた」と思ってる
○○したのに、
望む結果にならなかった。
だから、言った本人↑も残念な気持ちになってる
というのは間違いないんですが、
これって、言われた側の人はどうする事もできないんですよね。
人でなくても、不可抗力とかでもありえる。
「せっかく」干した「のに」
(雨で台無しだよ)
とか
「せっかく」教えてあげた「のに」
(全然わかってくれないよ)
とか。
「せっかく」練習した「のに」
(曲目かわっちゃったよ)
だから?
しょうがないやん。
練習したの?
よかったやん。
前より上手くなってるかもしれんやん!
(いや…曲目が変わるのは仕事だったらしょうがなくないこともあるか… 場合によりますが)
とにかく、「せっかく」⚪︎⚪︎した「のに」構文は、問題点としては
解決が見えないまま会話が終わるんですね。
しかもなんかモヤっとしたまま終わる。
これが良くない。
それで何か改善したことありますか?
ないはずですよ。
それを打ち消す唯一にして素晴らしい方法があります。
それは何かというと
ダメだった、
だけど
もっとこうしたらいいか!
とかを付け加えて、
前向きな発言に置き換えて終わる!!
です。
これで、ネガティブ回避できます
発言をマイナスで終わらせると、空気がマイナスになるのです。
それでは良くない。最悪、人が離れていきます。
コード進行でも、マイナーの曲がドミナントから解決するとき本来ならマイナーに着地するはずの所を
わざとメジャーに解決する技を
クラシックの作曲技法で
「ピカルディ終止」といいます。
例)通常のマイナーのコード進行の場合
Cm→A♭→Fm→G7→Cm
通常のマイナーのコード進行の場合
最後まで暗いなあ…
例)ピカルディ終始を応用してマイナーのコード進行を明るく解決した場合
Cm→A♭→Fm→G7→C△7
ピカルディ終始を応用してマイナーのコード進行を明るく解決した場合
暗かったけど、、あれっ!最後明るいなぁ(ほっ
↓ピカルディ終止には、こんな効果があります。
どんな絶望的な曲でも最後にメジャーに着地する事で、暗闇の中の一筋の光のような、せめてもの救いのような美しい効果を生み出し、非常に印象的にする事ができます。
ピカルディ終始の効果、効能
ピカルディ終始とは、結構バロック時代くらいには使われていたっぽい技法で、フランスのピカルディ地方で使われていたとする説があります。
ポップス、ジャズの場合、理論で言うと「マイナーキーの中で使われていたダイアトニックコードのトニックの代わりに、同主調のトニックを借用してきて部分的に同主調転調を用いる」という感じで、
「モーダルインターチェンジ」の技法の範疇と言えます。
ふ〜〜ん
どんな絶望的な曲でも最後にメジャーに着地する事で、暗闇の中の一筋の光のような、せめてもの救いのような美しい効果を生み出し、非常に印象的にする事ができます。
これは、普段の会話の発言にも言える事で
これは非常にオススメな技でして、
うっかりネガティブ発言をしてしまって、自分でも「しまった!」と思う事がある人もいるでしょう。
しかしそう言う場合、
「せっかく」練習「したのに」。。。
↓
だけど、このコード進行でのソロの取り方分かったし、もう使えるようになったから良かったよね!
だけど、〜〜だったから良かったよね!
という、プラスの言葉で是非終わってみて下さい。
明らかに変化が訪れるはずです。
うまくいっている人はみな、この言葉のエネルギーに気付いているはずなのです。
例えば、自分のことだけでなくても、対人関係でも、これは同じで
自分では良かれと思って?誰かに?
○○して「あげた」?としても?
それは相手にとって必ずプラスに働くか、それは分からないのです。
そこで、予想と違う結果が返ってきて
相手を責めたりするのは、
非常に他責な行動だなと感じます。
そうではなく、全ての行動は自分に責任がある。
自責の思考で行動していれば、
「人を簡単に変える事はできない」と言うように、そもそも達観した視点で物事を捉える状態ができるはずなのです。
なので、何かをしたときに良い結果が得られない、とか
欲しい反応がもらえなくて困った、というようなことがあれば
「自責の思考」に切り替えてみてください。
よい結果が得られなかったのを、人や物のせいにしてしまうと、相手を責めたくなってしまう気持ちになります。
しかし、人は簡単に変わりませんし、動かせません。
人が変わるのは、「自ら気づき」、「感動」し、「行動しよう」、というエネルギーを「自ら」発見したとき、のみです。
人に期待して、変わってくれない場合にストレスが溜まります。
これを「他責」の状態とします。
それに対して、「自責」の精神では
この方が、自分の行動を自分で認識して行動を変化させれば、結果的にストレスが溜まらなくて済みます😌
○○したけどうまくいかなかった、
じゃあこうすればいいか!
この繰り返しで、人はいつまでも成長ができるのだと思い日々生きて考えています。
至らぬ点がありましたらご容赦ください。
良かったら皆さんもぜひお試しください。
マイナーのはずがメジャーで終わるコード進行、僕は響きが好きでよく使っちゃいます。
実生活でも役立ちそうです。
良かったらぜひシェアしてみてください。
終わりです。